松平親氏 (まつだいらちかうじ) |
松平家(徳川)の始祖。不詳〜1394年。徳阿弥と言う時宗の僧と言われる。松平親氏−泰親−信光−親忠−長親−信忠−清康−広忠−徳川家康は9代目。松平東照宮は親氏をまつる神社。平成5年は松平親氏の没後600年目にあたり「親氏公600年祭」が行われた(中央図書館に資料あり)。 |
|
鈴木正三 (すずきしょうさん) |
江戸時代の宗教家・思想家。1579年(天正7年)足助町則定に生まれる。1620年(元和6年)42歳の時、徳川家直参の旗本から出家。45歳の時、千鳥山(豊田市千鳥)で修行、1632年(寛永9年)恩真寺(豊田市山中町)を開く。1655年(明暦1年)77歳で死去。 |
|
白瀬矗 (しらせのぶ) |
日本人で初めて南極を探検。1861年(文久元年)6月13日秋田県金浦町生まれ。1911年(明治44年)に南極探検に出発、翌年、西経156度37分、南緯80度05分に日章旗を立て「大和雪原」(やまとゆきはら)と命名(実際はロス棚氷の上)。政府は資金を全く支給せず、義捐金を集め出発した。不足分は白瀬が負い昭和10年頃まで借財を背負った(現在の価値で換算すると約2億円)。1946年(昭和21年)8月19日豊田市神明町2丁目に転居。同年9月4日85歳で腸閉塞のため死去。現在その場所には石碑が立っています。関連ページ秋田県金浦町のホームページ |
|
牧野義雄 |
画家・文筆家。1869年(明治2年)12月25日豊田市生まれ。名古屋英和学校(現・名古屋学院)卒。1893年渡米、1897年渡英。ロンドンで活躍し「霧の画家」として有名。1956年(昭和31年)10月18日86歳で脳溢血のため死去。 |
|